◆続きをお読み下さい◆ 京都・上七軒のある置屋でのお話です。 入って間もない舞妓さんたちが、踊りの発表会の稽古を終えて帰ってきました。舞妓さんたちは踊りも覚えて、しかも間違えずに踊れて大満足です。その様子を置屋のおかみさんも見ていました。 さて、置屋に戻ったとき、おかみさんは舞妓さんたちになんと言ったでしょうか。間違えずに踊れたのでほめてあげたいのでしょうが、意外にも厳しい言葉が飛びました。 「振り付けを覚えたら踊りの稽古が終わりではないよ。振り付けを覚えたときから、本当の稽古が始まるんや。踊り込まなければ...」 さて、おいしい炒飯の作り方に戻りましょうか。 マニュアルを手にしただけ、または手順や時間を覚えただけで、おいしい炒飯が作れるでしょうか。私は難しいと思います。先ほどの置屋のおかみさんの言葉は非常に重要なポイントを突いていると思います。踊りも炒飯作りも同じです。マニュアルなど無くても作れる、時間など計らなくてもちょうど良いタイミングで調理ができるようにならなくてはおいしい炒飯は望むべくも無いのです。 踊りも炒飯も同じなら、我々の一つ一つの仕事も同じです。手順を覚えただけで仕事ができるつもりなっていてはいけません。よく「システム(しくみ、制度)」をつくれば良いという考えがありますが、その先が無くてはなりません。マニュアルを整備しただけで満足していてはいけないのです。 マニュアルを整備してから、仕事の手順を覚えてからが、その組織にとっての勝負です。マネジメントシステムに限らず、「覚えてから」後にかける気持ちと時間とお金が少ない組織は意外に多いように感じます。 社員は自らの価値を高めるために自助努力し、スキルアップを図らなければならない、と言います。確かにその通りだと思います。しかし、それは一面しか捉えていないのです。物事には幾つもの側面があります。社員が自助努力する一方で、組織として何をしなければいけないか。それも考える必要があります。 単なる制度つくり、マニュアル作りで終わらせず、「その先」のために「何度も鍋を振り」ましょう。そして私たちの組織にとっての「おいしい炒飯」を作れるようになりましょう。
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